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2017.07.08 Saturday
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    児童文学は世界を変えられるか  告発の先にある、何かを動かす力を育てる 

    2017.07.04 Tuesday 22:50
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         児童文学は世界を変えられるか

                   告発の先にある、何かを動かす力を育てる     

                                     

       今西乃子さんの著作との出会いは『ドッグ・シェルター―犬と少年たちの再出航』だった。アメリカの少年院が舞台。捨てられた犬たちが新しい家族へ引き渡されるまでの、しつけや世話を、少年院の子どもたちが行うというプロジェクトへ取材して書かれた本だ。当時、テレビの特集などでもやっていた題材で、軽い気持ちで手に取った本であった。

        動物には温もりがある。捨てられた犬も、そして少年院で過ごす少年たちも、心の底で何かを信じたいと思っている。それは、当たり前のことではないか。主旨と顛末を知っているノンフィクションを、人はどう読むのか。しかも、児童文学は、字数も、表現も限られているのである。そんな、漠然とした浅はかな私の思いは見事に打ち砕かれた。簡易な文章にみなぎるライターの思いは、あるべきなどという薄っぺらな正義感を、揺さぶり、読者へ我がこととして突きつけて来たのである。

       それ以来、私は、今西乃子さんの著作を追うようになった。捨て犬・未来のシリーズは、人間から虐待を受け、殺処分となる寸前だった犬の物語だ。その捨て犬・未来を同行し、今西乃子さんは、全国の学校へ「命の授業」を届けている。

      「命を捨てるのも人間、救うのも人間。どちらの大人になったほうがみんなは自分が好きって言えますか? 幸せって思えますか?」

       今西乃子さんの言葉はシンプルだ。

       先日、小学校での講演の後日談を聞く機会があった。ある生徒が、ご両親に、犬を飼ってもいいといってもらった時、今西乃子さんの講演会で聞いたこと、その後本を読んで感じた事を話し、ペットショップという発想しかなかった両親を説得して、保護センターの譲渡会に行ったのだそうだ。そこで、出会った子をもらい受け、ちゃんと世話をしているとのこと。彼女は、親を説得できるパワーと自信を、講演と読書で得たのである。

       そのエピソードを聞いて、今西乃子さんの著作を読んで、最初に感じた衝撃は、ノンフィクションとは、告発であると、誤解していた、自分の思考回路の崩壊だったのだと、ようやく言葉にできた思いがした。現状を知らしめ、責めるだけが、何かを変えるわけではない。罪悪感や絶望感で人々をうずくまらせるのではなく、その先にある何かを動かす力を育てることこそが、読書の喜びではないか。

       そんなことを考えている時、キム・ファンさんの『すばこ』を読んだ。環境や共存といった難しく、ともすれば責任と不安しかなさそうなテーマの本質を、さらりと、言ってのける絵本だ。それでもなお、最初に巣箱をつくったと言われているベルレプシュ男爵の、工夫と喜びに満ちた人生は、美しい絵の中で、作り出し考える楽しさに溢れている。

      未来を「してはならないこと」から考えるのは辛い。「すること」から考えれば、おのずと何かが動き変わるのかもしれない。児童文学は世界を変えられるか? なんだか、大げさな題名だけれど、我々児童文学に関わるものが、熱い気持ちを持ちと、告発の向こうにある未来を自分のこととして信じることができれば、何かが育ち、変えることができるのだろう。告発に留まらず、使命感や可能性を感じる本を届けよう! そんなことを思う。 

       

                                                                     札幌地区子どもの本連絡会  「ジグソーパズル」201706

       

       

                   

       

       

       

       

            

                         

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      石の神

      2015.02.21 Saturday 00:40
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                田中彩子・作 一色・画 福音館書店 2014




        「二人の少年がそこにいるという魅力」

        二人の少年、その言葉はその響きだけで読む者に不思議な可能性と、ときめきを感じさせてくれる。
        『ウロボロス 警察ヲ裁クハ我ニアリ』(神崎裕也・新潮社)は、現在テレビドラマにもなっている人気漫画だ。完結していない物語である以上、作品としての評価は避けたいと思うが、二人の少年という言葉のイメージが持つ魅力を見事に図式化している。愛する人を殺した犯人を捜すため、施設で育った二人の少年が、一人は警察官に、一人はヤクザに成長する。世界の光と影、両面からでないと真相にたどり着けない警察組織。人情に心を揺らし、冴えない振りをして警察官として生きている龍崎イクオ。ヤクザの若頭として打算的に暴力的に世渡りをしていく段野竜哉。オンオフの使い分けの歪みに傷つくイクオの若さと、ずっとオン状態でなければ生きのびることのできない竜哉の孤独。表裏でありながら、二人の主人公の心が交わる瞬間に読む者は心を奪われる。同じ目的、同じ根を持つ、異なる魅力の二人。
        『石の神』を読んだとき、私は同じような感触を覚えた。
         寛次郎は、石工に憧れ大江屋に奉公に来た。新弟子が現れず、偶然の不運とはいえ、三年間も飯炊き係に甘んじている。石工になりに来たのに鑿一本持たせてもらえないのだ。そこへ、申吉と呼ばれる少年が拾われてくる。自分の名も名乗らず、自分のことを一切語らない申吉は、猿回しの子ではないかと噂がたちあらぬ差別を受けたりする。申吉は、実は物心ついた頃から、捨吉と呼ばれ、村の警護を任されながらも村で暮らすことを許されない、荒れ地に住むものたちに育てられた。血なまぐさい事件が起こったある日、知らなくてもいい、どこにいたか、何をしていたか話すなと言い含められその地を追われた。申吉と呼ばれるようになった捨吉の運の強さを示すように一年も経たぬうちに新弟子が入り、下働きを卒業する。なのに、申吉は、本気で石に向かい合っているようには思えない。
        そんな中、申吉と寛次郎は、親方から腕比べを言い渡される。申吉の彫り上げた地蔵を見て、寛次郎は、奥歯をかみしめる
        彫りの腕なら、申吉とおれとのあいだに、そこまでの差があるとは思えない。ならばこの圧倒的な敗北感は、どこからやってくるのだろう。なにが申吉にはあって、おれにはないというのか。
        しかし、親方は、この勝負を「引き分けだ」と言う。申吉の地蔵の方がと、言葉を返し、決着をつけたがる寛次郎に、親方は、「てめえの親方が信じられないというのなら、今すぐに荷物をまとめて、ここから出ていけ」と、恫喝するのだ。
         素朴な、老婆が手を合わせでもしてくれそうな地蔵を彫った寛次郎と、見るものにおぞましいとさえ思わせる、牙を剥いた神のような地蔵を彫った申吉。
         自分が腹の中に抱える、自分に憑りついた何かを、恐れながらも、鑿の先に現し始めた申吉と、触れてはならない遠くに見える原形を自分なりの形にしたいと目を凝らし、腕を伸ばし続ける寛次郎。
         二人の石工としての在り方に勝敗はないと言い切ってくれた親方こそ石の神だと私は思いたい。
         コントロール不能なものを抱えるがゆえに異形のものとして心を閉ざし我が道を歩まなければならない申吉の若い痛みと、見えないものが見えるゆえに、形を追うために精進すること、強くあることを義務付けられた寛次郎の孤独。同じ目的、同じ根を持つ、異なる魅力の二人の姿は、どんな物語の起伏よりドラマチックに読む者の心を惹きつけてくれる。

                            (子どもの本棚 2015.03月号)

         

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        子どもの顔が見える一冊

        2014.08.23 Saturday 10:39
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           私が、子どもの頃、父は、ある種伝説上の生き物だった。起きる前に仕事に出かけていき、眠ってから帰ってくる。気配はあれど、母から口伝えに聞くだけの生き物だ。たまに家にいると、どこか緊張感があって、訳もなく嵩高かったし、長く家にいると「非日常な場所に遊びに行く」という、並外れた楽しいことが起こるわけだが、どうもそういう欲求の薄い子どもだったらしい私には、どこか迷惑な存在だった。

           それは、学校の宿題だった。小学校5年生だったと記憶している。これから習う、国語の教科書の一遍の「主題」を考えてくるようにという宿題で、私は途方に暮れていた。

           外国の青年が、自宅のキッチンに貼られていた絵を思い出し、その絵の色の美しさを語るのだが、妹の記憶と、絵の中の少女のワンピースの色について齟齬がある。実家に戻った時、その絵の上から貼られているクロスを剥がし、兄と妹はどちらが正しいか確認しようとするのだが、それは白黒の絵だったという話である。ラストに語られる、壁の中にかくれている間は、きっと色がついていたという青年の言葉は、当時の私には意味不明であった。

           ぼんやり教科書を眺めていたら、父が仕事から帰ってきた。珍しく、何をやっているのか私に尋ね、教科書を一読した。

          「思い出を大切にしたいってことじゃないかな」

           感傷的な言葉を、子どもの前で口にするのが躊躇われたのか、父は、困ったような恥ずかしいような表情をした。そう父に言われても、私には主題を理解できなかった。

           次の日、その主題を腹話術的に教室で披露して、担任の先生に大絶賛された後ろめたさと、父の印象的な表情、そして、子どもらしい、正解を口にした父への闇雲な尊敬は今も胸を離れない。

           今回、この原稿を書くために調べてみたら、この作品の題名は『壁の中』で佐藤さとるさんの作品であることがわかった。(『佐藤さとる童話集』ハルキ文庫収録)あの時の父の年齢を越え、父を亡くした今、再読すると、物語の主題は痛いほど胸にせまる。そして、この主題を人生経験としても理屈としても理解できなかったあの時の、今という時間しか持たなかった自分を愛おしく、羨ましく思うのである。

           

              彦根児童図書研究グループ 会報 201408

                        

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          やまんばあかちゃん

          2014.05.11 Sunday 22:08
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                          やまんばあかちゃん
                          富安陽子・大島妙子 理論社 2011
                 

             「最大公約数の原風景」


             富安陽子さんが描く妖怪たちを、民俗学的学術的見解から正しくないという人がいる。富安陽子さんが描く戦争を、戦争児童文学の観点から、加害者国家としての当事者意識に欠けるという人がいる。たぶん、その論は、ある面、正しいのだろうし、作品を論じる上で、当然、ふまえないといけない視点だとも思う。だけど、私は、そんな話を聞くたびに、少し、不愉快になる。自分が大切なものを、正論で踏みつけられて、言い返せない悔しさが気持ちに渦巻く。

             でも! その言葉に続く大きな思いを抱えながら黙り込む。

             畳の縁をまたぐことで現れる異世界を、障子の桟の向うに透けて見える不思議を、死者が帰ってくるお盆という時間だからこそ感じる不在の感触を、私の気持ちは確かに喜び楽しんだ。

             社会的に論じることと、好きだという気持ちの摩擦。好きだという気持ちが勝つことに罪悪感をおぼえながらも、「良い加減」な部分があってこそ異界への扉が開くのではないだろうか? と、いうプライベートな思いを、きっちりと公の言葉で、理論的に説明できない自分を恥じる。

             好きなんだな。

             この身贔屓的苛立たしさは、愛あればこそだ。そして、富安陽子作品の魅力は、その一言につきるのだと思う。自分の身体の中に流れる何かの、大切な部分に直結している。理屈ではないと言ってしまえば、論じようとする紙の上の言葉は、すべて無意味になってしまうけれど、満開の桜、夏の夜の花火、線路脇の彼岸花の列を見たときのように、一瞬胸に焼きつくような情感がある。富安陽子作品の世界観は、我々の最大公約数の原風景ではなかろうか。

             『やまんばあかちゃん』(2011理論社 大島妙子・絵)を読んで、その気持ちは一層深まった。

             大昔、富士山が噴火して、噴火口から大きな石が飛び出してくる。その石が二つに割れて、一人のちっちゃな赤ちゃんが生まれた。

             それが、やまんばあかちゃん。

             動物たちは、この富士のお山からの贈りものをどうやって育てていこうかと会議を開く。子育てなどしたことのない動物たちは、森の賢者・ふくろうおばあさんから、交代で面倒を見るように言われても戸惑うばかり。

             最初の里親は、大イノシシ。イノシシとうさんのもとで、やまんばちゃんは、スクスクと成長し、はいはいのスピードがどんどん速くなる。そして、五日もすると、富士山のてっぺんまで、二十六分で往復できるまでになるのだ。イノシシとうさんは、言う。

            「むすめよ。とうとう おまえに “とっしん・ドーン”のわざを おしえるときが やってきたようだな」

             もちろん、“とっしん・ドーン”は、誰もがイノシシといわれれば思い浮かぶ、全速力での体当たり。“とっしん・ドーン”を習得し、はいはいで、巨大な岩や、倒れた大木もはね飛ばせる様になった、やまんばちゃんに、再びイノシシとうさんは、満足そうに言う。

            「それでこそ、わがむすめ。それでこそ イノシシの子だ」

             次の里親は、森のボスザル。やまんばちゃんは、動物たちを親とし、その視線の中で、育ち、それぞれの、必殺技を得とくし、「それでこそ、わがむすめ」だという言葉をもらう。

             素晴らしい得意技をもった動物たち。それを、あっと言う間に自分のものにしてしまう、やまんばちゃんの成長。さすが、我が娘なればこそと肯定し、称える動物たちの姿。

            単純明快な物語である。きっと、読み語れば、子どもたちは、繰り返す楽しさと、動物たちの必殺技、それを伝授される面白さに笑い転げるに違いない。

             子どもたちにとって、大人と一緒に確かな時間を過ごし、育ち、認められるという、実感は、何よりも尊い。大人たちにとっても、自分の持っている何かを偉大なる特技と自讃し、大切な誰かに伝えられる喜びは、自分の存在の最大限の肯定ではなかろうか。

            愛された記憶と、今、ここに自分がいる意味。本を挟んで、子どもと大人の存在と時間が交錯する。

            それは、大人と子どもの理想的な大きさと、読書の姿であり、たぶん誰の胸にもある、当たり前のようで得がたい原風景ではなかろうか。この感覚は、少し泥臭いノスタルジーを伴う。しかし、富安陽子作品にあるのは、確かな「今」であり、古き良き感傷ではない。次世代のために守らねはならぬ原風景なのだ。

            この土壌の上に、我々は思想や文学論、学問を持つ。ゆえに、富安陽子さんの作品世界は、評論の言葉よりいつも少し大きい。この安らぐような、母の存在のような大きさへの憧憬をいつか言葉でつかまえたいと、論者である私は思う。



                         北海道子どもの本連絡会 
            「北の野火」第27号
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            後藤竜二追悼文 7

            2014.04.29 Tuesday 16:53
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               【体を突き抜ける感情】作家が求めた読後感


               

               後藤竜二さんに初めて会った時、私は高校生だった。面白い感想を言える子だと紹介された割には、愛想のない出会いだったに違いない。この人が『少年たち』を書いた作家かと、図書室の肖像画を見上げる思いだった。自分の無遠慮な視線が、憧れの作家を苦笑させるまで、相手が同じ空間で生きていることさえ、わかっていなかったように思う。

              それから程なく、私は、全国児童文学同人誌連絡会「季節風」に入会することになる。後藤竜二代表から始めに宣告されたことは、「仲間なのだから、先生とは呼ぶな」ということだった。その言葉は重く胸に刻まれ、私は、憧れの作家を目の前に、憧れ故にサインを求めることすらできなかった。

              参加六回目の秋の大会。毎回、鞄の中にしまったままで持ち帰る『少年たち』を差し出して、おそるおそるサインを頼んだ。

              「年季の入った本だな」

               後藤さんは、そう言って笑った。

              「『少年たち』をリアルタイムで読んだ子どもが二十五歳にもなるんだ。オレだって五十を過ぎるはずだ。」

               作家と読者、お互いに同じ時間が流れているということを確認され、私は不思議な感慨を覚えた。物語を挟んで、作家と読者に同じ時間が流れているということは、当たり前のようで、ありえない奇跡のような気がした。

               後藤竜二さんは、生前「北村夕香が書いた『バッテリー』の書評。北村夕香にあんな書評を書かせるような作品を、オレは書きたい。」と、仰っていたのだそうだ。勿論、嬉しくないはずがない言葉だ。しかし、八束澄子さんからこの話を聞いたとき、私は、何よりも、胸が詰まるような恐ろしさを感じた。

               あさのあつこさんが書いた『バッテリー』。新刊当時、私は、季節風の書評で、「体を突き抜ける感情」と題し、「一言一言が、私の記憶の中に埋もれている感情を刺激する。そして、自分の心の中でくすぶっている、今の情熱をも急き立てるのだ。」と、書いている。

              後藤竜二さんの『少年たち』との出会いが私の人生を変えた。そのことは、後藤さんとの間で了解事項だったと思う。もはや一冊の本という存在を越えて、私の読書傾向を分ける歴史の始まりであり、試金石であることも知らなかったはずがない。極めてプライベートに響いている、自作の影響さえ越えた、得体の知れない力を持つ作品を描きたいと願っていたのか? 物語を挟んで、作家と読者に、同じ時間が流れる。読者と共に大きく育った物語が、再び読者を育てるものならば、作家もまた、その時間に打ち勝つものを生み出す存在でなければならないということか。そう思うと、作家というものは、なんて、業の深い生き方を強いられる職業なのだと思った。

               亡くなる一ヶ月ほど前、後藤さんは、ポツリと、『風景』への感想が嬉しかったと言ってくれた。三年も前にメールで送った感想へのコメントだった。

              「ラストには胸をつかまれ、どうしようもない思いが残りました。共感なのか、言い当てられた驚愕なのか、未消化です。なんだろう。

              誰もいない部屋で、ちょっと踊っちゃった感じです。号泣した後とか? なぜかすっきりしております。未消化なのに? へんな感じです。」

              言葉に出来ない思いと、突き上げてくる熱い感情こそ、後藤竜二さんが望んだ読後感だったのかもしれないと思う。作家が求めたもの。私が感じたこと。日常に流されることなく、胸に残るインパクトを一つずつ確かな言葉にしていく。そのために私は、物語と共に、お互いを育てあう未来を生きていくのだろう。

              あさのあつこさんは「追悼とは惜しむことではない。バトンを受け取ることだ。」と、言った。だから、と、続けたら、後藤さんは、いつもの呆れたような、からかう様な調子で、

              「夕香チャンはホントにあさのが好きだな。」

              そう言って、笑うのだろうか。

                       2011年3月1日筆
                       北海道子どもの本の連絡会より依頼


              風景 (新・わくわく読み物コレクション)

               

              後藤竜二追悼文 6

              2014.04.29 Tuesday 16:38
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                後藤竜二の作品と生き様  I’m on your side.」


                「ヤッホー! 感想、感激です。

                感想もらって、胸がぐぐっときて、目頭熱くなり、――トシかなー。」

                20081125日火曜日 8:43

                後藤竜二からもらったメールは、そんなふうに始まっていた。

                私は、メールの文字を追いながら、憧れの作家の、気持ちの揺れがライブに伝わってくる感触に戸惑いさえ感じていた。

                前日の夜、私は、当時新刊だった「31組ものがたり」の4巻目『十一月は変身!』について、極めてプライベートな思いを書き連ねたメールを送っていたのだ。

                「私は、エミリ的な子どもだったなぁと思いながら、あんまり冷静に読めませんでした。」

                 自分に近いところがあるから、この物語をエミリの物語として読んだ。偏った感想になるのを許してほしいと私はつづっている。

                 どうやら、自分の言った言葉や、ちょっとした態度が、自分が感じている以上にクラスで重く扱われてしまうことに気づいたのは、三年生くらいだったと思う。注目され、目立つ生徒だったと言えば聞こえが良いが、本当の友だちとはいえない取り巻きに機嫌を取られながらも、いばっているとか、先生にエコヒイキされているとかいう陰口は、常に囁かれていた。私は孤独だった。そして、それは、エミリの姿に酷似しているように感じたのだ。

                何よりも、クラスで影響力を持ち、正義を意識している聡明なエミリを、ジュン先生が、クラス運営に利用することなく、沈静化へ係わっていく姿が、どんなに難しいことか、身を持って知っていると思った。

                ジュン先生は、エミリを、一人の等身大の生徒として守ったのだ。

                「この物語で、一番救われたのはエミリではないでしょうか?」

                同じように、亜紀美をいじめていたと告白しても、悠の優しさや、人間味と、エミリの「それ」はちょっと違って、エミリは勇気を持って、女王様の位置をおりたのだ。

                だから、【悠くんは、変わってほしくない】

                【ああいうふくざつなやつは、ほっぽらかしとくのが一番】そんな、エミリと悠のお互いに対する思いは、胸が詰まるほど、正しいと思った。

                「ヘタな愛の告白より、ぐっと来ます!」

                伝えずにはいられない感想だった。

                エミリは、はじめ悪役として描かれていたのだそうだ。エミリを人間として描くことに試行錯誤、苦悩の日々があったのだとメールは語っていた。 

                同人誌「季節風」の実作合評会で、後藤竜二は、常に「登場人物に入れ込め」と、アドバイスする。そうすれば物語が動くと言う。何度も聞いた言葉だ。充分に理解しているつもりだった。

                31組ものがたり」という、後藤竜二が、最も得意とするタイプの作品で、苦労のあとなど見えるはずもない。しかし、登場人物に入れ込み、それを具現化する作業が、多くの作品を描き、その多くの作品で社会的評価を得てきた作家が、一読者の、極めてプライベートなメールの感想に、涙するほど真摯なものだということを、まざまざと思い知らされた気がして、胸が熱くなった。

                私にとって、後藤竜二は、中学生のとき『少年たち』を読んで以来の憧れの作家であった。真っ向からぶつかってくるエネルギーは、読書体験というより、事件に近い衝撃だった。後藤竜二に初めて会った時、作品世界に近い風貌に目を見張ったことを憶えている。漠然とではあるが、作品と作家の生き方に、神聖なほど近しいものを読み取ったのだと思う。

                こんなエピソードがある。

                 この一年半、後藤竜二は、まさしく生き急ぐように「季節風」で様々な研究会を企画した。季節風誌の編集会議にくっつけて、読書会や幼年作品の勉強会をする。せっかく東京に来たのだから、ゆっくり歌舞伎を見る時間ぐらいほしいですと、冗談っぽく抗議めいたメールを送ったら、次の日の早朝、八時ジャストに、待ち構えたような電話が鳴った。

                「昨日のメールの件だけど。ドライな言い方に聞こえるかもしれないけれど、まず参加者のことを考えてほしい。主催者側にそういう気持ちがあると、参加者に気を遣わせることになる。夕香さんの都合は二の次だ。」

                 そういわれてしまえば、返す言葉がない。こちらも少しは本気だったのだけど、不遜な言い方だったかもしれないと反省する。神妙に、返事をしようと息をのんだとたん、からかうような、笑いを含んだ声が聞こえた。

                「このことは、海老蔵を選ぶか、後藤を選ぶかという問題ですから。」

                 笑うしかなかった。

                「頼りにしてるんだから、腹をくくってもらわないと。」

                 そう言葉は続く。

                瞬間、「1ねん1くみシリーズ」で、くろさわくんが、しらかわ先生に「たよりにしてる」と言われていたなと思い出す。作品と同じことを言うんだなぁと可笑しく思った。

                 くろさわくんは、しらかわ先生には弱いのである。こちらも、くろさわくんのように、

                「ふん、おだてにゃ のらないぜ。」

                と、嘯きながら、言うことをきくしかない。

                 私も、後藤竜二には弱いのである。  

                私が後藤竜二を見上げる視線の角度は、十代で初めて会ったその日から、何も変わることはなかった。

                思春期の憧れは、真っ直ぐで打算がなく美しいものだと思うが、その反面、相手の才能や振る舞いに、残酷なほど理想である事を求めるものだと思う。そんなこちらの、危ういほど欲深い気持ちを、二十数年に亘り、少しもそらすことなく許容し、憧れさせつづけてくれた奇跡のような存在には感謝するしかない。

                途方のない夢も、甘えた愚痴も、後藤竜二の前では、不思議なくらい、明日の生活に密着した、具体を伴う未来へ変換された。

                I’m on your side.きみの味方だもの

                「明日に架ける橋」の一節が、『少年たち』の中で、くり返しでてくる。

                I’m on your side

                後藤竜二の一生は、その人の味方であるということは、どういうことかということを、問い続けた人生ではなかったろうか? そのひたむきな思いは、後藤竜二が紡ぎだした登場人物へだけでなく、彼を取り巻く人間関係にもむけられていたのだと思う。後藤竜二は、登場人物にも、生身の人間にも、惜しみなく入れ込み、物語を動かした。後藤竜二からもらった物語は、確かに、我々の目の前に続いている。早すぎる訃報を嘆いてばかりはいられない。作品を通して、幸福な出会いを通して、鍛えてもらったはずの体内羅針盤を信じ、我々それぞれが歩き続けるしかないのではないだろうか。今、そんなことを考えている。

                                  2010年11月10日筆

                                「子どもの本棚」

                  
                少年たち (児童文学創作シリーズ)
                                  

                後藤竜二追悼文 5

                2014.04.29 Tuesday 15:18
                0
                  「応援歌は、今もこの胸に」

                              

                  後藤竜二さんとは懇意にしていますと自慢したら、地元で読み語りボランティアをしているお母さんから、手紙を預かったことがある。もう十年も前の話だ。

                  小学校一年生の娘さんは『1ねん1くみ1ばんでっかい!!』が大好きで、後藤先生に手紙を書いたから渡してもらってほしいと、頼まれたとのことだった。

                  後藤竜二は、手紙を開いたとたん、破顔というのはこういう顔のことですよ、と、言いたくなるような晴れやかな表情を浮かべた。

                  「見せてやろうか?」

                  と、自慢げに言う。

                   手渡された手紙は、いかにも女の子が大切にしまっていそうな可愛いピンクの便箋で、ピカピカ光るシールが何枚も貼ってあった。そして、硬筆のお手本のように丁寧な大きな字で、

                  「うんこ おもしろかったです。」

                  と、書いてあった。

                  「手紙って、これだけですか?」

                   私はたずねた。

                   後藤竜二は、大切そうにその手紙を封筒に入れなおすと、胸に当てる仕草をした。

                  「こういうのが一番嬉しいんだよ。」

                   敵わないなと思った。

                  評論で、どんなに言葉を尽くしても到達し難い境地に、子どもの一言は軽々と届くのだと思うと、なんだか妬けた。後藤竜二が常々言葉にする、作家が「書くぞ!」と思い、児童文学界が元気になる評論と言うものは、極論すれば、子どもが放つこういう言葉なのだろうと実感し、難しいところを目指さないといけないのだなと身が引き締まる思いがした。

                  私に、「児童文学評論家」という肩書きをつけたのは後藤竜二である。

                  おりしも、政治家やタレントの経歴詐称がワイドショーをにぎわしている時だった。大学などで、専門的な教育を受けてもいない自分が、評論家などと名乗っていいはずがないと思った。

                  「知識があるか、ないかなんて考えるなよ。

                  まっすぐな言葉を持ってるんだから、思ったことをまっすぐ書けばいいんだ。自分の感性を信じればいい。難しいことは考えるな。」

                   そう後藤竜二は言った。

                  「組織にとらわれない人間関係をつくれ。

                  人間関係にとらわれず本を選べ。

                  組織にも人間関係にもとらわれない本の読み方をしろ。」

                  それが、自分の感性だけを拠所に論じる人間が、貫くべき筋だとも言った。

                  後藤竜二ほどの人がそう言うのである。とにかく、言葉通り、難しいことは考えず、ちょっと自惚れながら書き続けることにした。

                  しかし、現実は私を甘やかしてはくれない。ことある事に、私は、時間がないと嘆き、本が思うように読めないと、浮世の仕事や、生活とのバランスに苛立った。

                  不況と呼ばれる時代、きっと、児童文学に係わり、その道を志す人たちは、厳しさを増す生活と、叶い辛くなった夢との間で自分を律しながら生きているに違いない。つくる者も、手渡す者も、必死で志を守っている。

                  出口のない愚痴を聞かせる私に、ある時、後藤竜二がくれた私信を、最後に紹介したいと思う。この言葉が、生活の場で戦う多くの人に届けば良いと思う。

                  後藤竜二は、その人の根本に響く応援歌を口にできる人だった。

                  「大切なのは人生です。

                  どれだけ本を読んでるかなんてことじゃない。

                  生きて、書いていきましょう!」 

                               2010年11月7日筆
                               「この本だいすきの会」より依頼


                   1ねん1くみ1ばんでっかい!! (こどもおはなしランド)

                  後藤竜二追悼文 4

                  2014.04.29 Tuesday 14:46
                  0

                    『尼子十勇士伝 赤い旋風篇』遺作を読む

                     

                    「思いを言葉に」と言い続けた作家が、「最後の活劇」と口にしていた作品で、主人公として選んだのは、山中鹿之助。「口のきけない子」と周りから思われている<鹿>であった。心情表現を廃した、短文で綴られる物語。舞台は、謀略渦巻く乱世。誰もが、なりふりかまわず生き延び、成り上がることを考え、血判まで押した誓紙が一瞬で反故にされる世。しかし、人々の間では、信義、仁、そんな言葉が行き交い、尊敬の対象として揺るぐことはない。<鹿>が生きているのは、世の習いと、貫くべき理想、その乖離の中で、命がけで戦うたびに、虚しい気分ばかりがひろがっていく世界だ。 

                    <鹿>の人物造詣もまた、他者からの評価と、内面とで乖離をみせる。

                    長い手足と、無駄の無い超人的な動き。無口ではあるが、人を動かす、情と熱のある言葉を、簡潔に叫ぶ。「赤い疾風」と呼ばれる軍団の中で、信頼を集め、豪勇を褒め称えられ、敵に歯軋りをさせる人物。しかし、そんな<鹿>が断片的に見せる揺らぐ心情は、あまりにも根本的で、退廃の匂いさえする。女海賊・摩耶に対する、肉感なき、自由に対して焦がれるような、この場所から逃げることを望むような抽象的憧れ。「この城のほかに、自分の生きる場所があるのか?」「尊敬することのできない主君に、なぜ命かけて尽くさねばならぬ」という自問。

                    まるで、講談のヒーローのように語られる、戦場での迷いなき姿、仲間への信頼とは裏腹に、愛馬・青嵐を失う寸前の<鹿>が、(楽に、なれる)と、死の誘惑に飲み込まれそうになるシーンが象徴するように、読者として<鹿>に感じるのは、未来を動かすには至らない荒涼とした疑問であり、孤独だ。

                    この原稿の依頼を頂いた時、愚痴は書くまいと誓った。作品を作品として評し、未完のまま閉じられたことを嘆くまい。ましてや、「今、腰に生首をぶらさげて乱世をぶらついているんだ」と、言っていた、後藤竜二の笑顔のむこうに、物語の続きを探るような真似はすまいと思った。

                    しかし、実際に遺作を読み、私は自分を律する最低限の冷静ささえ失っている。ストーリーとして未完なだけなら良かった。だが、物語は、大地への信頼が崩壊した、なんとも不安定な場所に、現代の縮図とも言える空虚な乱世が描かれただけで終わっている。その先に、作家が挑んだであろう、それでも生きていく人間が、どう誇り高く、信頼を貫けるかという生命力は、まだ、表面的な英雄伝という形式でしかなく、個人の誇りとして描かれる以前なのではないか。

                    信義という言葉だけが大音量で聞こえてくる。削ぎ落とされた物語の中に、情報はあまりに少なく、すべては予感でしかない。万華鏡の図柄のように、広がり、形を変える世界が目に残るばかりだ。

                    日本児童文学界の旗手として、一生を駆け抜けた男の、遺作である。現代的な問題を切り取る中に、変わらぬ生命力の可能性を描き続けた作家である。この作品全体を被う痛いような孤独感の中で、後藤竜二がつかもうとしていたものはなんだったのか?

                    もはや、自分が透明になりかかっているのか、社会が霞んできているのかさえわからない現代人にとって、自分の存在や憧れの所在を明確にし、社会との接点を捕まえ、それらを結びつけ、実像化することは困難を極める。

                    そんな現代を象徴するような、精神過多でサブリミナル的な<鹿>の存在は、これから展開する物語の中で、肉体を持ち、現実感や生活感を手に入れたのではないか? 英雄的偶像と、<鹿>の迷いは、複雑なる一人の人間として立体的に統合されたのではないか?

                    死期の迫った尼子晴久が、愚かな自己と信じられる人を悟る「疑心」の項。人は死を目前にしなければ、役割と、プライドゆえの弱さから自由になり、地に足のついた未来を見ることは出来ないのか。体面を省みず、心底を曝け出す晴久の姿には胸を掴まれる。この物語で唯一、丁寧に人物に寄り添い、心情として迫ってくるシーンだ。

                    <鹿>は、生と成長の中で、死の淵で晴久が見た具体的未来を獲得できるのか? その過程こそが、我々現代人が誇り高く生きるための指針となっただろう。

                    そして、それを後藤竜二はエンターテイメントとして提示しょうとしたのだ。卓越した能力を持ち、それを世間に認めさせる器用さも持ち、それでいて満たされない若者の生き様。それは現代人の複雑な苦悩に通じ、その曲折を、シンプルに、乾いた文章で描くことは、新しい大衆性の方向であったに違いない。

                    私は、悔しくて、悔しくて仕方ない。

                    「信義」を、スローガンではなく、迷いさえ内包させた生活哲学にまで高めていくであろう<鹿>を、最後まで見届けたかったと、何時までも、この本を閉じられずにいる。

                                    2010年10月5日筆
                                    「日本児童文学」

                                       

                       
                    尼子十勇士伝―赤い旋風篇

                     

                    後藤竜二追悼文 3

                    2014.04.29 Tuesday 14:26
                    0
                       後藤竜二さん追悼文 大空と大地の中で
                                                       
                                      

                      後藤竜二さんはいなくなってしまったけれど、私の手元に、北海道行きのエアチケットは残っていた。

                      定山渓で後藤竜二さんの読み語りが聞けることを楽しみに決めた旅だった。温泉旅館の、書斎と喫茶室をあわせたような洒落た一室。けして熱心でない、夏休みをくつろぎにきている観客がいるのだろう。そこで、後藤竜二さんは、どう振舞い、どんな本を読み、どう語るのか。想像するだけで気持ちが踊った。

                      断ち切られてしまった旅への楽しみは、憧れの作家が突然逝ってしまった悲しみにぶら下がっていて私を無気力にさせた。

                      生身の後藤竜二さんを初めて見たのは17歳か18歳の時だ。見せてやろうという人に連れられて、講演会か合評会に押しかけた。濃いサングラスに黒のハイネック、ジーンズ姿だった。『少年たち』を書いた作家だと強烈に意識していた私は、その作品世界に近い風貌に神聖なものすら感じた。居酒屋の雑談で、後藤竜二さんのことを「割れない胡桃のようだ」と評した人がいる。その時のニュアンスは少し悪口だったかもしれないけれど、あの時、良くも悪くも大人になろうとしていた年齢の私は、その割れない胡桃のような姿に、“ある理想”を見たのだと思う。

                      それから間もなく、私は、全国児童文学同人誌連絡会「季節風」に入り、仲間として後藤竜二代表と向き合うことになる。組織が望む役割の中で、私は、公の場で後藤代表に意見を求め、反論したりした。十代の頃から知っていただいているよしみで、言いたい放題だというイメージを持つ人も多いだろう。

                      「季節風は創作集団ですから、後藤代表へのファン的行動はご法度なんですよね」と、書いた私のメールに、榊京子さんは、「本心を書くということが物書きのあるべき姿」だと返事をくれた。その真っ直ぐな言葉にハッとさせられた。後藤代表亡き後の季節風で、私は、自分の役割にがんじがらめになっているかもしれないと感じたのだ。そして、実際に会ったのは一度きりの私に、裏表のない言葉をきっちり言ってくれることが嬉しかった。その、人との交わり方に、昨年、北海道を訪れ、作家の原風景をみた時の喜びを思い出した。

                       余所者の私に、郷土の英雄であるはずの作家の追悼文を依頼してくれたことにも驚いた。

                      開かれた平等 異質共存、季節風の中で後藤代表が掲げたスローガンは、北海道では、普通の生活習慣としてあるものなのかもしれないと強く思った。

                      組織の中で、どんな役割を担わされても、私が後藤竜二さんを見上げる視線の角度は、初めて見たその日から何も変わることはなかった。少年の日の憧れは、純粋で打算がなく美しいものであると思うが、その反面、残酷なまでにストイックで欲張りだ。そんなこちらの感情を、けしてそらすことなく20年以上受け止めてくれていた後藤竜二さんは、作家として人間として凄い人だったのだと思う。

                      後藤竜二さんのいない北海道への旅。やっぱり行ってよかったと思う。

                      北海道の空と大地と、湿度の低いカラッとした空気、強い日差し、そして、裏表のない人々の声は、後藤竜二さんの作品と、組織に込めた理想をライブに感じさせてくれる。

                      たびたび訪れて近くありたいと思う、北海道の風土には、私の少年の日の憧れがある。
                                     2010年8月17日筆
                                     札幌地区子どもの本連絡会より依頼 




                            
                      故 郷〈こきょう〉 (偕成社の創作文学(26))

                      後藤竜二追悼文 2

                      2014.04.29 Tuesday 12:44
                      0
                         「季節風の子」として、この“場”に懸ける思い


                         訃報を聞いてから去来する数々の思い出は、どこか後悔ばかりを私の胸にもたらす。果たしえなかった約束と、流れる日常の中で、忘れてしまっていたことへの痛みである。

                         中でも、生々しく心に甦るのは、八年くらい前だろうか、『乱世山城国伝』が舞台化されたときの記憶である。

                        大阪での舞台、後藤竜二が来るというふれこみ。うきうきと見に行った私は、公演後、出口へ向かう人の波の中で、階下のロビーに後藤竜二の姿を見た。

                         顔を知った著名な作家たちと、一目で舞台人とわかる人々。差し出される著作とサインペン。気軽にサインに応じながら、談笑する様子は別世界で、これは近づけないなと思った。

                        帰ったら、手紙でも書こう。見に行きましたよって。諦めの気持ちで出口に向かう。

                         その時、ふと、空気が動いた。

                        「季節風の子が来てくれてます。」

                        そう言った後藤竜二の声は、こちらが気恥ずかしくなるほど誇らしげだった。

                        「季節風の子が来ているので、話してきます。季節風の子が見に来てくれたんです。」

                         周りに高らかに宣言するように言い、後藤竜二は、出口に向かう人々の波に逆らって階段を上がってくる。

                        私は、その光景を、他人事のように眺めながら、この人は、こんな華やかな場所よりも、舞台の成功よりも、名も無き「季節風の子」が自分に会いに来たことが、一番嬉しいのだと思った。

                         極めて印象的なシーンの後の、極めて不毛な会話まではっきりと甦ってくる。

                        「何で、来たの?」

                        「・・・・・・電車です。」

                        「もう帰るの?」

                        「はい」

                        「気をつけて」

                        「はい」

                        「来てくれてありがとう、ね。」

                        「はい」

                         後藤竜二は、何より「季節風」を優先させ、何より「季節風」を愛した。私は、「季節風の子」として、あの時の、後藤竜二の声と姿を二度と日常に埋没させることはすまいと思う。

                         これからも「季節風の子」として、多くの「季節風の子」が集い、作品を鍛えあう“場”を守っていきたい。それが、一番の追悼であり、私に課せられた役割だと信じている。


                                       2010年8月14日筆
                                       全国児童文学同人誌連絡会「季節風」


                        乱世山城国伝