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    前夜祭

    2009.05.31 Sunday 22:43
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       誕生月というものは、何かを始めたくなるものだ。
      誕生月を目前に、ブログを始めてみることにした。書きたいと思うような、素晴らしいものにいっぱい出会える毎日を過ごしたいと思っている。

       さて、今日は、新国立劇場で、「タトゥー」(シリーズ・同時代【海外編】)を見た。上京の予定にあわせ、何かをと思い、役者の吹越満さんの名前で見ることを決めた、衝動買いに近い観劇である。

       黒い舞台に無数の白い窓枠が吊り下がっている。その中に、ベッド、椅子、テーブルといった生活用品が垣間見える。白い、不安定な衣装に身を包む役者たち、棒読みに近い台詞回し・・・そして、奇妙なブレスで台詞が中断する。
       舞台から消えない登場人物(舞台のソデで体育座りのまま自分の出番を待っている)、暗くならない客席。休ませてくれない、感情移入も許さない、不思議な舞台空間であった。
       近親相姦の物語である。
       気さくで働き者で家族思いのパン職人の父、家事と仕事を両立しながら控えめに家を支える母、仲良く喧嘩するしっかりものの姉とやんちゃな妹。しかし、この平和は、何か、奇妙な不穏を孕んでおり、時々、言葉の端々に異常なエロスが滲む。
       父親の蛮行を、母は知りながら、平和な家庭にしがみつく。妹は、姉がされている事に嫌悪を感じながらも、なぜ姉だけが求められるのかとコンプレックスを抱く。
       父が執拗にこねるパンは、肉体の象徴か?姉娘がかまえる銃の先の林檎は贖罪の象徴か?
       文化の違う国で生まれた舞台のシグナルをつかみきれない自分がもどかしい。
        舞台美術を担当したのは塩田千春。
      数年前、国立国際美術館(大阪)で赤い糸にまっすぐ引かれている(まるで、底引き網の一本一本が釣り上げたように)無数の靴という作品を見たことがある。気配を感じさせることによって不在を明らかにする・・・妙に印象深い作品だった。
       白い無数の窓。閉じ込められた家族。父親の一言ではじまる夕食も、椅子も、テーブルも、下がってはくるが、不安定に浮き上がったままだ。
       今回も、気配と不在のバランスは、とても象徴的に舞台に表現されていたと思う。
       原作者は、ベルトルト・ブレヒト賞を受賞した現在ドイツ演劇界を代表する新鋭女流劇作家デーア・ローアー。役者に、感情移入をした演技だけはしないでほしいと要求したとの事だ。
       演出家の岡田利規は、「より遠くにいける可能性のある作品」を生み出す方法論を「引き寄せないようにそれをいつまでも掴んでいないように、すぐに手放すように」心がけているのだという。
       なんとも幸せな出会いではないだろうか。

       作者と、演出家、役者、それぞれが、自分にひきつけることが罪悪であるかのように、態度や言葉が無機質なボールとなり、気配と不在の中を行き来する。

       記号化された人間たちが繰る広げる、暗号に満ちた物語。とても刺激的な時間であった。



                             

      category:舞台 | by:天晴くん☆comments(0)trackbacks(0)

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