スポンサーサイト

2015.07.03 Friday
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    category:- | by:スポンサードリンク | - | -

    後藤竜二追悼文 4

    2014.04.29 Tuesday 14:46
    0

      『尼子十勇士伝 赤い旋風篇』遺作を読む

       

      「思いを言葉に」と言い続けた作家が、「最後の活劇」と口にしていた作品で、主人公として選んだのは、山中鹿之助。「口のきけない子」と周りから思われている<鹿>であった。心情表現を廃した、短文で綴られる物語。舞台は、謀略渦巻く乱世。誰もが、なりふりかまわず生き延び、成り上がることを考え、血判まで押した誓紙が一瞬で反故にされる世。しかし、人々の間では、信義、仁、そんな言葉が行き交い、尊敬の対象として揺るぐことはない。<鹿>が生きているのは、世の習いと、貫くべき理想、その乖離の中で、命がけで戦うたびに、虚しい気分ばかりがひろがっていく世界だ。 

      <鹿>の人物造詣もまた、他者からの評価と、内面とで乖離をみせる。

      長い手足と、無駄の無い超人的な動き。無口ではあるが、人を動かす、情と熱のある言葉を、簡潔に叫ぶ。「赤い疾風」と呼ばれる軍団の中で、信頼を集め、豪勇を褒め称えられ、敵に歯軋りをさせる人物。しかし、そんな<鹿>が断片的に見せる揺らぐ心情は、あまりにも根本的で、退廃の匂いさえする。女海賊・摩耶に対する、肉感なき、自由に対して焦がれるような、この場所から逃げることを望むような抽象的憧れ。「この城のほかに、自分の生きる場所があるのか?」「尊敬することのできない主君に、なぜ命かけて尽くさねばならぬ」という自問。

      まるで、講談のヒーローのように語られる、戦場での迷いなき姿、仲間への信頼とは裏腹に、愛馬・青嵐を失う寸前の<鹿>が、(楽に、なれる)と、死の誘惑に飲み込まれそうになるシーンが象徴するように、読者として<鹿>に感じるのは、未来を動かすには至らない荒涼とした疑問であり、孤独だ。

      この原稿の依頼を頂いた時、愚痴は書くまいと誓った。作品を作品として評し、未完のまま閉じられたことを嘆くまい。ましてや、「今、腰に生首をぶらさげて乱世をぶらついているんだ」と、言っていた、後藤竜二の笑顔のむこうに、物語の続きを探るような真似はすまいと思った。

      しかし、実際に遺作を読み、私は自分を律する最低限の冷静ささえ失っている。ストーリーとして未完なだけなら良かった。だが、物語は、大地への信頼が崩壊した、なんとも不安定な場所に、現代の縮図とも言える空虚な乱世が描かれただけで終わっている。その先に、作家が挑んだであろう、それでも生きていく人間が、どう誇り高く、信頼を貫けるかという生命力は、まだ、表面的な英雄伝という形式でしかなく、個人の誇りとして描かれる以前なのではないか。

      信義という言葉だけが大音量で聞こえてくる。削ぎ落とされた物語の中に、情報はあまりに少なく、すべては予感でしかない。万華鏡の図柄のように、広がり、形を変える世界が目に残るばかりだ。

      日本児童文学界の旗手として、一生を駆け抜けた男の、遺作である。現代的な問題を切り取る中に、変わらぬ生命力の可能性を描き続けた作家である。この作品全体を被う痛いような孤独感の中で、後藤竜二がつかもうとしていたものはなんだったのか?

      もはや、自分が透明になりかかっているのか、社会が霞んできているのかさえわからない現代人にとって、自分の存在や憧れの所在を明確にし、社会との接点を捕まえ、それらを結びつけ、実像化することは困難を極める。

      そんな現代を象徴するような、精神過多でサブリミナル的な<鹿>の存在は、これから展開する物語の中で、肉体を持ち、現実感や生活感を手に入れたのではないか? 英雄的偶像と、<鹿>の迷いは、複雑なる一人の人間として立体的に統合されたのではないか?

      死期の迫った尼子晴久が、愚かな自己と信じられる人を悟る「疑心」の項。人は死を目前にしなければ、役割と、プライドゆえの弱さから自由になり、地に足のついた未来を見ることは出来ないのか。体面を省みず、心底を曝け出す晴久の姿には胸を掴まれる。この物語で唯一、丁寧に人物に寄り添い、心情として迫ってくるシーンだ。

      <鹿>は、生と成長の中で、死の淵で晴久が見た具体的未来を獲得できるのか? その過程こそが、我々現代人が誇り高く生きるための指針となっただろう。

      そして、それを後藤竜二はエンターテイメントとして提示しょうとしたのだ。卓越した能力を持ち、それを世間に認めさせる器用さも持ち、それでいて満たされない若者の生き様。それは現代人の複雑な苦悩に通じ、その曲折を、シンプルに、乾いた文章で描くことは、新しい大衆性の方向であったに違いない。

      私は、悔しくて、悔しくて仕方ない。

      「信義」を、スローガンではなく、迷いさえ内包させた生活哲学にまで高めていくであろう<鹿>を、最後まで見届けたかったと、何時までも、この本を閉じられずにいる。

                      2010年10月5日筆
                      「日本児童文学」

                         

         
      尼子十勇士伝―赤い旋風篇

       

      スポンサーサイト

      2015.07.03 Friday 14:46
      0
        category:- | by:スポンサードリンク | - | -
        Comment








           
        Trackback
        この記事のトラックバックURL

        PR
        Calender
            123
        45678910
        11121314151617
        18192021222324
        252627282930 
        << June 2017 >>
        Selected entry
        Category
        Archives
        Profile
        Search
        Others
        Mobile
        qrcode
        Powered
        無料ブログ作成サービス JUGEM